カガミナオヤの口先百編


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(政治というよりは、政治家の話)

今日はBLOGOS を経由して、ローリングストーン日本版の記事から。
大統領選翌日のオバマ大統領最後のインタヴュー:トランプの勝利、これからの自分
なる記事が眼にとまったので、読後の感想めいたものを勝手に吐き出したい。

最初に申し上げておくと、私はバラク・フセイン・オバマ2世(Barack Hussein Obama II)
なる人物のことを殆ど知らない。このフルネームも、今さっきWikipediaで確認して
「そういえばこんなお名前だったなぁ」、などと思ったくらいである。

好きか嫌いかで言えば、多分、好きである。
知的で冷静、それでいてタフ。勝手なイメージを述べると、こんなところだろうか。
そして恐らく、希代のカリスマの持ち主である。

さて、この記事を読んで私が持った感想は、こんなものだった。
「この長さのインタビュー記事に堪える政治家が、日本に何人いるだろうか」。
別に、大した長さのある記事ではない。数えたわけではないが、
字数にすれば一万字を少し超える程度のものだろう。
にも拘らず、私にはこれが随分な難題に思われるのである。

勿論、彼の人はアメリカ合衆国の大統領であり、「希代のカリスマ」と
私が思うところの人である。それと同列の人物を探すというのも
無茶な話なのだろうが、しかしこれは問題なのではなかろうか。

何故か、と少し考えてみる。
割と簡単に思い付くのは、「何を話すのか予想がつく」ということだ。
私は日本人で、相手は日本の政治家だから、米国大統領より予想がつくのは
やはり当然なのだが、どうもそれだけではない。
予想がつく上に、「聞きたくない話」なのだ。

任期満了直前の大統領との違い、と言えばそれまでだが、
日本の政治というのはとにかく対立する相手を叩く。
典型的なのは与党に対する野党の批判(とも言えないような雑言)だが、
一言にすればネガティブキャンペーンが露骨すぎるように思うのである。
そしてまた徒に挑発的であり、一方的であり、侮蔑的である。
(具体例は引かないが、ご了解戴けるものと信じたい)
自分が正義であることと、相手が悪であることは無謬の前提であるがごとし。
そんな感想すら抱く。そして、そんな発言を私は嫌悪する。

対して、少なくともこの記事を見る限り、米国大統領の発言はスマートである。
言葉の端々に次期大統領に対する懸念が伺われるし、勿論それなりに
批判めいたことも口にされてはいるのだが、明確な否定はそこにはない(ように思う)。
この点が、私が思うに一番の相違点である。
一言にすれば、彼は勝者に敬意を払っている。その上で、しかし
自分の方がより優れた結果をもたらすことができると信じ、次の準備を始めているのだ。

やや昔の話で恐縮だが、IWJ Independent Web Journalの
2014年12月14日付け記事では、こんな言葉が見られる。

「今後も国会の中で、野党第一党として、十分な議論を尽くして、
安倍さんの暴走に対するブレーキ役となりたい」

誰の言葉かと言えば、正にこの日に行われた第47回衆議院議員総選挙で
落選の憂き目を見た、海江田万里民主党代表(当時)の敗戦の弁である。
ご存知の通りこの選挙は、結果を見ればまず自公連立政権が大勝を収めた
と言ってよい選挙だった。にも拘わらず、この記事によれば
野党第一党の党首、しかもその選挙で議席を失った本人でさえもが、
与党の「暴走」を前提にしか発言できなかった
ことになる。
この差はいかばかりであろうか。

勿論、オバマ大統領について言えば、彼自身が選挙に負けたわけではない。
事情を同列に並べるのは適切ではないという指摘はありうるし、正当だとも思う。
しかしそれにしても、あまりに負け様が宜しくない。

「政権は悪」。こう前提した上で、それを批判する自分は正義。
こんな思考回路があるとすれば、正直に言ってお笑い種である。
しかし、笑って済ませられないことにこれがどうも事実らしい。
今年、政治家を論う言葉として流行(?)を見せた「ブーメラン」なる
ものは、この典型的な例ではないだろうか。
これは基本的には、いわゆるダブルスタンダードを指摘する言葉だが、
実際には「あんなに偉そうに啖呵を切っておいて、その批判が自分に
そのまま返って来る」という「あんなに偉そうに」を笑う意図が根底にある。

しかし実はこの話、繰り返しになってしまうが「政権は悪」という大前提が
ある限りはダブルスタンダードでも何でもなくなってしまうのである。何故なら、
批判されているのは「権力者の行為」ではなく「権力者」だから。
実は、行為の中身なんてどうでもいいのである。そうでなければ説明が付かない
と私は思っている。そしてそれ故に、彼らの批判にはまるで中身が無い(ことが多い)。


これに対して、オバマ大統領は正しい見解を示している気がする
私が最も重要視しているのは、共通的な事実の積み上げだ。
抽象的かもしれないが、つまり我々の生活の中の共通のストーリーを
いかにして作るか、ということだ。この分裂状態の中で今最も大きな
チャレンジは、国民がそれぞれ全く異なる発信源から情報を得ている、
ということで、状況は日に日に悪化している。あちらこちらからかいつまんで
要約されたニュース記事からFacebookページまで、ノーベル賞受賞歴のある
科学者の語る気候変動問題と、地下室でパンツ一丁になっている若者の
投稿とが同じレベルで語られ、賞賛されている。
問題は、何百何千という情報源からさまざまな世界観を見聞きする
現代の状況が、その分裂をさらに加速させていることだ。世間の注目を
浴びたいがために、物ごとを大げさに言ってみせたり、議論を煽ったり、
誹謗中傷や嘘の話を拡散したりと、人々を駆り立てている。
これは実のところ、野党の与党批判に通じる部分が大きいのではないだろうか。
しかも鋭いのは、これが「加速」現象である、という指摘だ。
日本で野党の政治家が一から十まで与党を批判するのは
私の知る限り昔から珍しい行為ではないが、近年では明らかに
その度合いが激しくなっている。
そしてこの「加速」は、思うに大手のマスメディアも巻き込まれている。
昨今のテレビや新聞記事を見るに、彼らもまた度を越した言論を
顧みなくなった、と感じるのは私だけだろうか。
こう言っては何だが、昔はもうちょっと巧くオブラートに
露骨な主張が包まれていた気がする。

オバマ大統領を見習え、とは言わないが、しかし抑制が
効かなくなっている。イデオロギー丸出し、あるいは敵愾心丸出し、
そうでなければエゴ丸出しの話なんて、聞きたくない。
それらをちゃんと知性で制御できる政治家が日本に何人いるだろうか...
と、本記事冒頭の感想が私に返って来るのである。
残念というか、無様である。
時おり失言をやってのける与党議員の愚かしさとは、
全く違う問題がここにはある。

共通のストーリーを、とオバマ大統領は言う。
手前勝手なストーリーを無謬のものとして恥じないのが、
今のこの国の野党(あるいは、その主だった部分)だ。



政治とはかようなものかしら、と思う次第である。

私は別に、与党支持者でも何でもないのだが。


                            
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(まっとうに資料を使いましょう、という話)

脱「愛国カルト」のススメ
というブログがある。
このブログと同じlivedoorBlogを利用されていて、
政治カテゴリのランキングの上位に位置しているのを見かけて
覗かせて戴いた。ご存知の方も多いのではないだろうか。

さて、その「脱「愛国カルト」のススメ」の記事に、
坂東忠信「外国人犯罪は増加している」←この10年間一貫して減り続けています
というものがあった。2016年12月03日の記事なので、
リアクションとしては遅きに失した感はあるが、気になったので
検証というのか、批判対象の坂東氏の記事、また
検察庁の資料を実際に眺めてみた。 

「脱「愛国カルト」のススメ」の管理人である桑原一馬氏
(*もしかすると管理人ご本人の筆による記事ではないのかも知れないが、
 判断が付かなかったのでこのように表記させて戴く)
によると、
如何に引用する坂東忠信氏の主張はいずれも誤りだという。
(*桑原氏本人は「大嘘」と書かれているが、
 嘘かどうかは私の問題ではないので、誤りとさせて戴いた)


  引用①
これまで外国人犯罪を話題に上げると、なぜか『「来日」外国人犯罪の検挙状況』
という資料が引き合いに出されて、これを元に外国人犯罪が論じられていました。
しかし外国人には、永住者、特別永住者、永住者の配偶者などの「在日」と、
その他の「来日」の区別があり、公表されていたのは「来日」のみ。
つまり、世代を超えて外国人として定住している実質移民である、
朝鮮民族を中心とした「在日」外国人の犯罪実態に関しては、全く公表されていなかったのです。

  引用②
過去十年を見ると、これまで公開されていた「来日」外国人による
殺人事件被害者数とほぼ同数の「在日」による殺しが存在したことが判明。
つまり、外国人による殺人については、半数の犠牲者が隠されていたのです。
これらはいずれも、「坂東忠信の日中憂考」の2016年2月4日付の記事からの
引用である。桑原氏と同じ箇所を本記事でも引用した。
結論としては、これらの坂東氏の主張は誤りである
あるいは、最大限にまで好意的に受け取ったとしても極めて記述が不適切である。

桑原氏もご指摘の通り、警察庁HPで公開されている統計の中には、
「平成○○年の犯罪」という資料が含まれており、
「来日外国人」と「その他の外国人」という仕方で
それぞれ「外国人による犯罪の検挙件数と検挙人員」として
示されている。例として、「平成27年の犯罪」にリンクを貼っておこう。
p.533が該当のページである。
いわゆる在日外国人がこの「その他の外国人」に含まれることは、
まず間違いのないことと思う。

さて、このような統計が存在する以上、
「在日外国人の犯罪実体に関しては、全く公表されていなかった」
という坂東氏の主張は誤りである。少なくとも、
隠されていたという主張は正当でないだろう。
(*「その他の外国人」であって「在日外国人ではない」という指摘はありうるが、
 本記事はこれを考えない)


公平性の観点から補足しておくと、
上記の警察庁統計のページには「国際犯罪対策に関する統計等」
という項目があって、ここには「来日外国人犯罪の検挙状況」なるものが
別立てになっている(実際にページを見て戴ければ分かる)。
恐らく坂東氏は、このように「来日外国人犯罪に特に注目する態度」
問題視しており、「在日外国人犯罪も同様に取り上げるべきだ」
主張したかったのだろう。
だとしても、在日外国人犯罪は隠されている、という類の主張は
事実に反しており、なされるべきでなかったと私は思う。
「在日外国人犯罪の取り扱いは適切ではない。
 来日外国人犯罪と同じ仕方で公表して、問題として認識すべきだ」
というくらいが妥当だったのではなかろうか。
(*主張内容ではなく、主張の仕方としてである。念のため)


さて、これで話が済めば分かり易かったのだが、もう少し話は続く。
以下の引用は、警察庁HPで公開されている平成26、27年の犯罪情勢のp.78から
のものである。 同ページの表も引用しておこう。

  引用③ 
外国人の刑法犯検挙件数は、平成 17 年以降一貫して減少しており、
検挙件数全体に占める割合は、17年から 21 年までは5%台又は6%台で
推移していたのに対し、22 年以降は4%台となっている。
一方、外国人の刑法犯検挙人員は平成 24 年を底に増加傾向に転じており、
検挙人員全体に占める割合も17 年から 24 年までは3%台であったが、
25 年以降は4%台で推移している。外国人のうち来日外国人についてみると、
刑法犯検挙件数は平成 17 年以降一貫して減少しており、27年の検挙件数は、
17 年から2万 3,620 件・71.5%減少した。刑法犯検挙人員は平成 24 年まで減少傾向に
あったが、25 年に増加に転じ、以後増加傾向にある。
平成 27 年の検挙人員は 17 年から 2,318 人・27.3%減であった。

23

少々表は見づらいがお許し願いたい。
さて、日本という国全体で見た時、検挙件数と検挙人員は
揃って一貫して減少している
。素晴らしいことだ、と言ってよかろう。
他方、その中に占める外国人犯罪の割合は、細かく産出すると次のようになる。

H17:6.72(5.09+1.63) H18:5.83(4.29+1.54) H19:6.16(4.25+1.91)
H20:6.04(4.05+1.99) H21:5.61(3.77+1.84) H22:4.54(2.82+1.72)
H23:4.41(2.72+1.69) H24:4.22(2.55+1.67) H25:4.46(2.70+1.76)
H26:4.53(2.57+1.96) H27:4.48(2.63+1.85)

上の数字は、「外国人犯罪の割合(来日外国人犯罪の割合+在日外国人犯罪の割合)」(%)
を示している。来日外国人犯罪の割合はH24年を底に4%台で横這い
というのは引用の通りである。付け加えて、在日外国人判事の割合は概ね1.5%~2.0%
の間で横ばい
だということも分かるだろう。

検挙人員についても見ておこう。

H17:3.82(2.20+1.62) H18:3.75(2.12+1.61) H19:3.65(2.06+1.59)
H20:3.71(2.10+1.61) H21:3.71(2.16+1.55) H22:3.73(2.08+1.65)
H23:3.59(1.93+1.66) H24:3.63(1.89+1.64) H25:4.02(2.14+1.88)
H26:4.20(2.30+1.90) H27:4.61(2.58+2.03)

H24年までを境に、割合上は増加に転じたことは残念ながら事実のようだ。
来日外国人と在日外国人の絶対数の増減が確認できていないので、
そのデータと突き合わせる必要もあるだろうが、平成27年度には
来日、在日外国人双方ともに検挙人員が数値上も増加
している。 


対して、桑原氏の発言を引用しよう。

  引用④
つまり、少なくとも平成18年以降の10年間では、
外国人犯罪の検挙件数も、中国人犯罪の検挙件数も、
韓国人犯罪の検挙件数も、来日外国人の検挙件数も、
在日外国人の検挙件数も、日本全体の犯罪の認知件数も、
ほぼ一貫して下がり続け、平成27年は10年前のほぼ半分~1/3にまで減少し、
ネットにデータが公開されている平成14年以降では過去最低を記録しているのです。

それにも関わらず、「外国人犯罪がー!」「中国人犯罪がー!」「韓国人犯罪がー!」と
ことさら強調し、しかも「外国人犯罪の増加」などと大嘘を吐くとは、坂東忠信氏の卑怯さには
呆れて開いた口がふさがりません。

私は、氏の主張した数値上の事実には虚偽が含まれていない、という
点については同意する。その限りで「外国人犯罪は増加している」という
主張は確かに誤りである

しかし、このように述べるのであれば、
「外国人の検挙人員数を全体との割合で比較した場合は増加の傾向にあり、
 H27年に限っては実数としても増加している」
ことも考えるべきではないだろうか。

尤も、桑原氏の主張を坂東氏の主張は誤りだという点に限るのであれば
その必要はないのかも知れない。しかし次の主張を結論として述べるならば、
やや偏ったデータの使用だと言わざるを得ないのではなかろうか。
同記事からの桑原氏の言葉である。

  引用⑤

犯罪には注意する必要がありますが、ことさら外国人犯罪を強調する必要などありません。

少なくとも私には、かつては検挙件数の実数、割合ともに高く、
それはある程度落ち着いたものの今では検挙人員の増加が懸念される、
というのが公平な見解ではないかと思われる

強調するにも程度はあるだろうが、問題そのものを抹消するような
主張も公正とは言えないのではないか。

勿論、4%台という外国人犯罪が検挙数に占める割合が
本当に大きいのか、それとも小さいのかを含めて議論せねば、結論は出せない。
その意味では私の見解もまだまだ主観に過ぎないと言わねばならないだろう。
今後も引き続き考えていきたいが、しかしまずは言えることだけを纏めてみた。


繊細で重要な問題であるからこそ、冷静な議論を求める次第である。
 

                            
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本日2016年12月22日、
沖縄・北部訓練場の一部が返還された。

Wikipediaによると元々の面積は78.33㎢であり、
その内の40.1㎢が返還されたと
琉球新報の記事では伝えられている。
(因みに、こちらの記事では北部訓練場は75.13㎢となっていた。
 Wikipediaとの数字のズレが気になるが、何か事情があるのだろう)

さて、NHK NEWS WEBの記事によると、
安倍首相は次のようにコメントしている。
「北部訓練場の4000ヘクタールの返還は
20年越しの課題であった。今回の返還は、基地負担の軽減にとどまらず、
跡地利用を通じた地域振興にも大きく寄与することになる」
もう一方、ケネディ駐日大使もこの点は同じ考えのようだ。
「日本に対する安全保障上のコミットメントを維持しながら、
沖縄県民の影響軽減への継続的なコミットメントを示すものだ」

産経ニュース
によると、
返還された土地はユネスコの世界自然遺産に
登録することを目指し、観光客の誘致を図るという。
どれくらいの収益が見込めるかはともかく、
地域振興が進むとすれば良い話だと言ってよかろう。
仮に残念ながら振興が進まなかったとしても、
ともかく土地の返還はなされたわけだからなお前進だと
言うことはできる。

しかし他方、いわゆる基地負担の軽減、という課題を見れば、
恐らく期待されたほどの効果は無い。これは私見に過ぎないが、
自信を持っているところでもある。理由は簡単だ。
「何を以て負担が軽減されたと言うのか」という基準が、
共有されることもなく、また関係者達も共有する気がない
(ように見える)からだ。
本来なら一番初めに決まっていなければならない
はずの目標達成の目安がないのだから、「大きな成果だ」と言うことも、
「さしたる成果などない」と主張することも極めて容易なのである。
つまり、もう少し皮肉を交えて言えば
「基地負担軽減という効果は無いと主張されることは間違いない」ということだ。

例えば、沖縄タイムスプラスの記事を見てみよう。
「返還自体は歓迎だ。だが、県民の不安を払拭できない状況の下、
どんな思いでお祝いをするのか」。県幹部は不快感を示した。
 翁長知事はオスプレイ墜落事故とその後の飛行再開に抗議し、
返還式典の自粛を政府に要請した。だが、その声は聞き入れられなかった。
 別の幹部は「県民が上空を飛ぶオスプレイにどれだけ不安を持っているか、
政府は分かっていない」と指摘。知事の抗議を受け流し、祝賀ムードの
政府の姿勢こそ「県と国の大きなギャップの象徴だ」と訴えた。
 その上で、「ギャップのはざまで苦しむのはいつも県民だ。
日米安保の応分負担とは一体何なのか」と吐き捨てた。
これは、恐らく今回の件では典型的な
「返還を評価しない見解」である。一言にすれば、
「土地が帰って来てもオスプレイが飛んでいるなら意味はない」
というところだろうか。主張そのものは分からないでもないが、
私には何故こんな言葉が出てくるのか理解できない。

無遠慮な言い方をすれば、私の意見はこうだ。
「そもそも、オスプレイを飛ばさないために返還が為されたわけではない」
先日のオスプレイ不時着水(あるいは他の見解によれば墜落)が
尾を引いているとしても、土地が返還されようがされまいが
現状、オスプレイは飛ぶのである。故意に議論を混乱させているのだとしたら、
そのような行為は慎まれるべきである。

琉球新報を始め幾つもの記事が
翁長沖縄県知事の返還式典欠席と、オスプレイ不時着水事故への
抗議集会出席を伝えている。これも徒な論点の混同であり、
無意味な対立を強調する行為に見える。故意だとすれば、
許されざることだと私は述べたい。
まずはこの成果を共に喜び、
その上でオスプレイの飛行停止を改めて求める。
そういう仕方こそが本道ではないのだろうか。

北部訓練場の一部返還という成果を巡って、
日本国と沖縄県
(あるいは少なくとも、日本国首相と沖縄県知事)、
双方の評価はすれ違っている。 
しかし見当違いの論点で成果を否定するのではなく、
まずは成果を成果として認めることから始めるべきだ。
それは決して、例えばオスプレイを容認することと同じではない。

その上で、「沖縄県の基地負担の軽減とは何か」
「基地負担軽減の具体的目標を何処に置くか」。 
無意味な論点の混乱を避けるためにも、こうした基準設定を
改めて行い、それを県は国と共有しなければならないだろう。
これをはっきりさせずに「基地負担がある」と主張することも、
場合によっては筋違いである。

勿論、この共有そのものに困難があることは承知している。
国と県のギャップとは正にそのことであろう。 
そしてまた他方、まだまだ顧みられるべき沖縄の思いがある、
ということも否定したいとは思わない。

しかし、ギャップがあるから駄目だ、と言っても何も始まらないのに、
とも遠くから大阪府民たる私は思うのである。 

                            
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