カガミナオヤの口先百編

タグ:政治家

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(何となく、同じ問題だと思えたので勝手にシリーズ化してしまった。
 ただし、話題としては政治はかようなものかしらとは別である)


駒崎弘樹氏の公式サイトにあるBLOGに、
「「政治家がバカになる」仕組みを、そろそろやめよう」なる記事が
掲載されている(2016年12月29日付)。

簡単にまとめると、氏の記事はこの時期にそれぞれの地元で
行われる自治会の忘年会や消防団の年末集会、そこに
呼び出される政治家の姿に疑問を提示するものだ。

彼らは地元の有権者のメンツのために呼び出されるだけであり、
そこには政治課題を語りあおうという地元民側の姿勢は無いという。
また、この手の有権者は利益誘導を要求するのみであり、
この国をどうするか、などという視点からはほど遠い「消費者」として
振舞うことが指摘されている。

それよりも、政治家が本来時間を割くべき政策課題の研究や議論に、
政治家本人が集中できるようにするべきだ、というのが駒崎氏の主張である。
解決策は、我々有権者が握っています。すなわち、我々が国会議員に対し
「この新年会には、もう来なくて良い。
本を読んだり、
社会問題の現場に足を運んでほしい。それがあなたの本当の仕事だ」

と言ってあげるのです。
                                (改行は引用者による)

私は、氏の言葉には一定の説得力があると思う。
実際、自治会のイベントに足を運んでおられる政治家の方々を見て、
似たような印象を持ったこともある。
ただし、他方で「社会問題の現場に足を運んでほしい」という主張には
やや疑問を感じなくもない。病児保育問題に関わっておられる駒崎氏の
立場を見ると、「自治会ではなく私のところに来て欲しい」という主張にも
見えてしまうからだ。しかしそれは、私が穿ったものの見方をし過ぎている
のだと自覚してもいるのでお許し戴きたい



  ◇◇◇

さて他方、駒崎氏へのリアクションとして
早川忠孝氏のブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」」
「政治家がバカになる仕組み?ちょっと意地悪ですね」という記事が
掲載されている(2016年12月30日付)。

早川氏は駒崎氏の主張を
「選挙民の啓蒙のためのアジテーションとしては秀逸の類」
と認めながらも、しかし
「新年会や忘年会に一生懸命顔を出している国会議員たちを相当軽んじている」
と反論されている。纏めるよりも引用した方が
分かり易い文章だと感じたので、以下に引用させて戴く。

ご自分で選挙をやったことがない人は、
選挙に出ている人たちの苦労や日頃の精進にまったく理解がないことが分る。

まあ、地元の有権者の方々が地元への利益誘導ばかり考えたり、
自分たちの個人的利益ばかり追求するようになると問題だが、
そういうことは想像している以上に少ない。

デスクワークばかりしている役所の人よりも、
一般の方々の声にしっかり耳を傾ける国会議員たち、
現場の声をよく聞く国会議員たちの方が中身がよく分かり、
実感を持って語ることが出来るようになることが多い。
特定の支持団体とばかり付き合っていたり、
ごく少数の地域ボスとの関係を大事にする人よりも、
様々な地域や団体の新年会や忘年会に出席して末端の声を
吸い上げるべく努力している人の方が将来的には
遥かに役に立つ存在になる可能性がある。

駒崎さんの論稿にそれなりの正しさがあることは認めるが、
自分の顔を売ろうとしてあちこちの新年会や忘年会を
駆けずり回っている人たちの意気を阻喪させるようなことは止めた方がいい。

無駄なことのように思えるかも知れないが、
多くの人と会えば会うほど議員の方々は学ぶことは多いはずだ。

地元の方々から支持を得られないようでは、国会議員は大した仕事は出来ない。

本を読んで足りるのは、多分、学者や研究者の世界。
国会議員は、足を使って様々なことを学ぶものである。

地方議員の方々も基本的には同じだと思う。

さて、私は早川氏の主張にも正しさはあると思う。しかし、
「ご自分で選挙をやったことがない人は、
選挙に出ている人たちの苦労や日頃の精進にまったく理解がないことが分る。」

というお言葉には大きな疑問を抱く。
これはつまり、「素人は黙ってろ」という理屈であり、
「やったことのない奴に本当のことなど分かるはずはない」という
論法に見えるからである。これがまかり通るなら健全な議論は成立しない

そしてもう一つ、この反論は国会議員たちが
一般の方々の声にしっかり耳を傾け」、また
現場の声をよく聞く」ことが前提になっており、更に
特定の支持団体とばかり付き合っていたり、
ごく少数の地域ボスとの関係を大事にする人よりも、
様々な地域や団体の新年会や忘年会に出席して末端の声を
吸い上げるべく努力している」ことまでもが前提になっている。
駒崎氏の主張がやや一方的であるとは私も思うが、
それに対する反論としてはあまり十分ではないだろう。

恐らく早川氏としては「このような志でもって我々は活動しており、
その交流をむやみに否定するようなことは主張には同意しない」と
言いたいのであろうし、その意味ではそもそも両者は
事実を争っているのではない

そして元より、駒崎氏の主張は国会議員へ向けた批判ではなく、
有権者への批判である。しかし、それだけに早川氏の反論に私は
危うさを感じる。

何故、早川氏は「一般の方々の声を聞くこと」と
「自分の顔を売ろうとしてあちこちの新年会や忘年会を
駆けずり回っている」ことが結ぶ付くことを自明であるかの
如くに語るのだろうか

顔を売ろうとして時間を空費している、という批判に対して
この答は不十分だ。
しかもそれでもって、自分たちが「実感を持って」問題を
語ることができることが多い、と胸を張って言えるのは何故だろうか
駒崎氏の批判は、本当にそうか、と言っているのだ。

早川氏は、あまりに無頓着かつ無自覚に、
「そんな問題はない、私たちはちゃんとやっている」と断じている

正直に言って、これではただの独断であり、仮にも
一国の政治家たる方の言葉はお粗末である。
この限りで、私は早川氏の回答を肯定的には評価しない。


   ◇◇◇

ただし、これだけは述べておこう。
私は早川氏が示された心意気、志と呼ぶべきものは全く正しいと思う
それが十分に達成されているか否かは別として、
早川氏の回答は政治家が如何にあろうとしているか、
その一つの理想を示している。
そしてその姿勢自体は、決して批判されるべきではない。
少なくとも私はそれを好ましいと感じるし、
それだけに、その理性が既に達成できてしまっているかのような
早川氏の言説に反感を覚えるのだろう。

早川氏には、なお自問自答しつつあるべき姿を
探求して戴ければと思う。謙虚、という言葉は好きではないが、
「これで十分だ」と思った瞬間に、
それ以上の成長は望めなくなってしまうものだろう。

そして他方、我々有権者もまた同様に、
「これで十分だ」と考えてはならない。その思考は、
政治家の成長、ひいては政治そのものの成長を
止めてしまうのかも知れない。


それ故に、もともとの駒崎氏の主張が有権者に向けられたもの
だったことを踏まえて、こんな風にまとめておこう。
少なくとも、地域との繋がりや地元民との交流の中で、
大きな問題を捉え、国をよくしようと懸命に働いている
政治家が存在する
。たとえそれが理想論に過ぎないとしても、
そのようにあるべきと考え、行動している政治家がいる。
そのことを、まずは我々も理想と知りつつも受け容れねばならない。
それこそが、あるべき政治の姿ではないか。

そして、そんな理想的政治家に相応しい有権者として、我々は
振舞うことができているだろうか
「我々はよりよき有権者であるべき」だ
という主張を、駒崎氏の主張、そしてそれに応答する政治家としての
早川氏の熱意が行き交う中で、より切実なものとして我々は
受け取るべきではないだろうか


おそらく、駒崎氏と早川氏、両者の問題意識は
正当なものとして受け取られるべきだと私は思う。
そして、如何にすればよりよき政治は可能となるか、
ということを、我々は問い続けねばならないのだ。


                             
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(政治というよりは、政治家の話)

今日はBLOGOS を経由して、ローリングストーン日本版の記事から。
大統領選翌日のオバマ大統領最後のインタヴュー:トランプの勝利、これからの自分
なる記事が眼にとまったので、読後の感想めいたものを勝手に吐き出したい。

最初に申し上げておくと、私はバラク・フセイン・オバマ2世(Barack Hussein Obama II)
なる人物のことを殆ど知らない。このフルネームも、今さっきWikipediaで確認して
「そういえばこんなお名前だったなぁ」、などと思ったくらいである。

好きか嫌いかで言えば、多分、好きである。
知的で冷静、それでいてタフ。勝手なイメージを述べると、こんなところだろうか。
そして恐らく、希代のカリスマの持ち主である。

さて、この記事を読んで私が持った感想は、こんなものだった。
「この長さのインタビュー記事に堪える政治家が、日本に何人いるだろうか」。
別に、大した長さのある記事ではない。数えたわけではないが、
字数にすれば一万字を少し超える程度のものだろう。
にも拘らず、私にはこれが随分な難題に思われるのである。

勿論、彼の人はアメリカ合衆国の大統領であり、「希代のカリスマ」と
私が思うところの人である。それと同列の人物を探すというのも
無茶な話なのだろうが、しかしこれは問題なのではなかろうか。

何故か、と少し考えてみる。
割と簡単に思い付くのは、「何を話すのか予想がつく」ということだ。
私は日本人で、相手は日本の政治家だから、米国大統領より予想がつくのは
やはり当然なのだが、どうもそれだけではない。
予想がつく上に、「聞きたくない話」なのだ。

任期満了直前の大統領との違い、と言えばそれまでだが、
日本の政治というのはとにかく対立する相手を叩く。
典型的なのは与党に対する野党の批判(とも言えないような雑言)だが、
一言にすればネガティブキャンペーンが露骨すぎるように思うのである。
そしてまた徒に挑発的であり、一方的であり、侮蔑的である。
(具体例は引かないが、ご了解戴けるものと信じたい)
自分が正義であることと、相手が悪であることは無謬の前提であるがごとし。
そんな感想すら抱く。そして、そんな発言を私は嫌悪する。

対して、少なくともこの記事を見る限り、米国大統領の発言はスマートである。
言葉の端々に次期大統領に対する懸念が伺われるし、勿論それなりに
批判めいたことも口にされてはいるのだが、明確な否定はそこにはない(ように思う)。
この点が、私が思うに一番の相違点である。
一言にすれば、彼は勝者に敬意を払っている。その上で、しかし
自分の方がより優れた結果をもたらすことができると信じ、次の準備を始めているのだ。

やや昔の話で恐縮だが、IWJ Independent Web Journalの
2014年12月14日付け記事では、こんな言葉が見られる。

「今後も国会の中で、野党第一党として、十分な議論を尽くして、
安倍さんの暴走に対するブレーキ役となりたい」

誰の言葉かと言えば、正にこの日に行われた第47回衆議院議員総選挙で
落選の憂き目を見た、海江田万里民主党代表(当時)の敗戦の弁である。
ご存知の通りこの選挙は、結果を見ればまず自公連立政権が大勝を収めた
と言ってよい選挙だった。にも拘わらず、この記事によれば
野党第一党の党首、しかもその選挙で議席を失った本人でさえもが、
与党の「暴走」を前提にしか発言できなかった
ことになる。
この差はいかばかりであろうか。

勿論、オバマ大統領について言えば、彼自身が選挙に負けたわけではない。
事情を同列に並べるのは適切ではないという指摘はありうるし、正当だとも思う。
しかしそれにしても、あまりに負け様が宜しくない。

「政権は悪」。こう前提した上で、それを批判する自分は正義。
こんな思考回路があるとすれば、正直に言ってお笑い種である。
しかし、笑って済ませられないことにこれがどうも事実らしい。
今年、政治家を論う言葉として流行(?)を見せた「ブーメラン」なる
ものは、この典型的な例ではないだろうか。
これは基本的には、いわゆるダブルスタンダードを指摘する言葉だが、
実際には「あんなに偉そうに啖呵を切っておいて、その批判が自分に
そのまま返って来る」という「あんなに偉そうに」を笑う意図が根底にある。

しかし実はこの話、繰り返しになってしまうが「政権は悪」という大前提が
ある限りはダブルスタンダードでも何でもなくなってしまうのである。何故なら、
批判されているのは「権力者の行為」ではなく「権力者」だから。
実は、行為の中身なんてどうでもいいのである。そうでなければ説明が付かない
と私は思っている。そしてそれ故に、彼らの批判にはまるで中身が無い(ことが多い)。


これに対して、オバマ大統領は正しい見解を示している気がする
私が最も重要視しているのは、共通的な事実の積み上げだ。
抽象的かもしれないが、つまり我々の生活の中の共通のストーリーを
いかにして作るか、ということだ。この分裂状態の中で今最も大きな
チャレンジは、国民がそれぞれ全く異なる発信源から情報を得ている、
ということで、状況は日に日に悪化している。あちらこちらからかいつまんで
要約されたニュース記事からFacebookページまで、ノーベル賞受賞歴のある
科学者の語る気候変動問題と、地下室でパンツ一丁になっている若者の
投稿とが同じレベルで語られ、賞賛されている。
問題は、何百何千という情報源からさまざまな世界観を見聞きする
現代の状況が、その分裂をさらに加速させていることだ。世間の注目を
浴びたいがために、物ごとを大げさに言ってみせたり、議論を煽ったり、
誹謗中傷や嘘の話を拡散したりと、人々を駆り立てている。
これは実のところ、野党の与党批判に通じる部分が大きいのではないだろうか。
しかも鋭いのは、これが「加速」現象である、という指摘だ。
日本で野党の政治家が一から十まで与党を批判するのは
私の知る限り昔から珍しい行為ではないが、近年では明らかに
その度合いが激しくなっている。
そしてこの「加速」は、思うに大手のマスメディアも巻き込まれている。
昨今のテレビや新聞記事を見るに、彼らもまた度を越した言論を
顧みなくなった、と感じるのは私だけだろうか。
こう言っては何だが、昔はもうちょっと巧くオブラートに
露骨な主張が包まれていた気がする。

オバマ大統領を見習え、とは言わないが、しかし抑制が
効かなくなっている。イデオロギー丸出し、あるいは敵愾心丸出し、
そうでなければエゴ丸出しの話なんて、聞きたくない。
それらをちゃんと知性で制御できる政治家が日本に何人いるだろうか...
と、本記事冒頭の感想が私に返って来るのである。
残念というか、無様である。
時おり失言をやってのける与党議員の愚かしさとは、
全く違う問題がここにはある。

共通のストーリーを、とオバマ大統領は言う。
手前勝手なストーリーを無謬のものとして恥じないのが、
今のこの国の野党(あるいは、その主だった部分)だ。



政治とはかようなものかしら、と思う次第である。

私は別に、与党支持者でも何でもないのだが。


                            
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